抜け出せる手がかり

今日は、お寺の御法話を聞きに行ってきた。

聞きながら、思った。
自分は、ずいぶん迷いの中を生きてきたし、現に迷いの中を生きているなあと。

いっこうに、迷いの霧は晴れ渡らないけれど、いろいろ聞いたり学んだりしているうちに、すこしは見えてくるものも、そのうちあるかもしれない。
とはいえ、迷っているなあと自覚はできても、まだまだ迷いから抜け出せる手がかりは、なかなかつかめない。

往生要集には「我今無所帰」という言葉と「孤独無同伴」という言葉があるという闇金相談 岡山話が、印象にのこった。
私には帰るところがない、という意味と、孤独で誰もつれあいがいない、っていう意味だろう。

現代人の孤独に通じるような、寂しげな言葉だと思った。
そこから一転して、熱をもって生きていくのが、本願ということらしいのだけれど、私はそういう熱を持っているかというと、どうも心もとないし、今までぜんぜん足りなかったと思う。

今も昔も変わらないそういう人間の寂しさをはっきり見つめたうえで、それを乗り越える道を見つけること、それが、御同行とか言うことなのだろうけれど、なかなか実行は難しい。
私にはぜんぜんできていないと思った。
でも、人間は生来御同行や慈悲や愛を求めてやまないものだからこそ、孤独無同伴という状態を寂しいと感じるのかもしれない。

御同行の世など目指すつもりは一向に起こらないし、そういうのをめんどさいと思っている私は、やっぱりまだまだ深い迷いの中にいるのだろう。