世の中変わるわけでもないし

エリートでもない私にとって、昔の士族のように国家社会へ責任感を持つ必要はぜんぜんなかったのだけれど、高校三年ぐらいになると、俄然政治や社会に興味を持つようになった。

持ったところで、世の中変わるわけでもないし、葛藤や苦しみが増えるばかりでいいことはないのだけれど、今もって、国家社会に関心がなかったり、無責任になることに良心のとがめを感じるのは、若い時に論語や儒教の影響を受けすぎたせいだと思う。

二つ目は、そうした儒教的葛藤から自由な人には理解しがたいことかもしれないけれど、私にとっては、儒教的な倫理、つまり、親に孝養を尽くして、君に忠誠を尽くして、人に対して喜怒哀楽を表にあらわさず、自分の葛藤は自分で処理し、威儀を崩さないというのは、長く理想像であって、その理想に添えない自分に随分苦悩した。

実際は、世の中はそんなに完璧な人間などいるはずはなく、それに、オープンマインドの方がいろんな意味で生きやすいのだが、儒教というものは無用な完璧主義とクローズド・マインドに満ちていると思う。

三つ目は、これはけっこう上の二点と異なって、自分ではけっこう乗りこえができたのだと思うけれど、天皇制をめぐる問題だった。
私は、高校の頃は、随分と右翼だったと思う。